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幻想
15






「うげ、また鍛錬してやがる」

殿下は大抵晴れた日の昼下りに現れる。それも決まって不法な方法で私の前に姿を現せる。庭の緑を掻い潜って後宮へやって来るためか、その姿はいつも草だらけで猫や犬などの小動物を彷彿させ、私を和ませてくれる。流石に殿下に対して不敬であるため、そう思っていることは私の胸に秘めるだけにしているが。
この日もいつもと同じように草の根を掻き分けて姿を現した殿下は、私の姿を見るなり嫌悪の意を示した。ただ私は庭で日課である鍛錬をしていただけなのだが。まあ殿下はこのように頻繁に講義や稽古を抜け出して来ているだけあって、鍛錬など聞いただけでも嫌なのだろう。

初めて殿下と出会った時。言葉も多く語らずに私の前から逃げてしまった。次の遭遇はそれから暫くしてからだったが、何を思ったのか今度は私に近付いてきて下さった。ただしその御身からはありありと警戒心が漂っており、一層小動物の類のようであった。その日は何の実もない話を交わしただけだったが、それが功を奏したのかその日から殿下は頻繁に私の庭へ現れるようになった。警戒心を背負うことなく接して下さるようになったのは私にとって僥倖であったが、一国の殿下がこう幾度も責務を全うせずに抜け出してくるのは問題ではないかと思う。

しかし理由が理由だけに同情してしまい、何も言えずにいる。
現在ヨルダン様には男が2人、女が5人の御子がいらっしゃられる。私の庭に現れるのは第一王太子の方であり、確か七つになられたばかりである。第二王太子は昨年生まれたばかりでまだ小さく、病気がちで身体が弱いということから、専ら次の王は第一王太子に決まりではないかと囁かれている。そのため殿下には日々の講義や稽古にも気合いが入れられ、大きな期待を掛けられている。まだ幼い殿下にそれが苦痛に感じても仕方ないだろう。ましてや、町の子ならば甘えられる相手である母親が殿下にはいない。殿下が何度も後宮へ忍び込むのは、生みの親である第二妾后のベレニーチェ様を見るためなのである。生みの親であるベレニーチェ様を遠巻きにして見ることが、殿下にとって唯一の慰みになっているのだろう。殿下が私の前へ姿を現して下さるのは、ただのついでであり本当の目的はベレニーチェ様の姿を見ることなのである。

「殿下、また抜け出してきたのですね」

殿下の来訪をラビィは知らない。殿下が現れるのは決まって私が1人で鍛錬している時であり、ラビィがその場にいると一度も姿を現しては下さらない。恐らくあまり他の人に姿を見られたくはないのだろう。そもそも後宮への男児侵入はそれが殿下であっても禁じられているから、秘するのも当たり前なのだが。ラビィにもあまり知られたくはないだろうから、私も殿下のことはラビィに言ってはいない。殿下くらいの年の時、私は父母や兄、従者たちに囲まれて、惜しみない愛を注がれて育ってきた。それが当たり前のこととして育った私にとって、殿下の現状はあまりに不憫に思えて仕方がなかった。少しでも殿下の気分を紛らわすことができるならばと、私は口を塞ぐことにした。

「またこんなに葉を付けて」

殿下の来訪に訓練の手を休め、失礼しますと一言告げ、殿下の衣服に付着している葉を一つ一つ丁寧に取っていく。二人兄弟の次男であるせいか、まるで手のかかる弟ができたようで何だか嬉しく思ってしまう。

「どうせこれからまた付くんだから、意味ねえだろ」

「そんな言葉遣い、いけませんよ」

後宮へ侵入されることは目を瞑る。だけど王太子であるからには、ちゃんとした言葉遣いを使わなければならないと以前から殿下に申しているというのに、なかなか聞き遂げてはもらえない。

「先生と同じこと言うな」

私の言葉にふんとそっぽを向く殿下。その様が一段と幼稚に見せているのだが、それを指摘すると一層癇癪を起されるため止めておく。

「先生にも言われているのでしたら、尚更直さなければなりませんね」

「……………」

ブスッと膨れっ面を見せる殿下に、つい噴出してしまいそうになる。





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あきゅろす。
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